Interview
──株式会社橘の創業から現在に至るまでの
歩みを聞かせてください。
当社の歴史は、今から55年前にまでさかのぼります。その始まりには、創業者である父が大阪で下積みをしながら、約4年間ジュエリーケース製作の技術を身につけた若き日の修行時代があります。農家の出身でありながら、20代前半で“ものづくりを生業にしていく”という強い決断をした背景には、戦後の高度経済成長の勢いを肌で感じ、商機をとらえる鋭い感覚があったのだと思います。
横浜に戻った父は、祖父母とともに、ほとんど仮設同然の倉庫から事業をスタートさせました。従業員がすぐに辞めてしまう苦しい時期もありましたが、家族経営で一つずつ課題を乗り越えながら、ジュエリーケースからディスプレイ製作へと着実に領域を広げていきました。
信頼が紡ぐ、 ものづくりの DNA。
転機となったのが、「ディスプレイを貸してほしい」という依頼が増加したこと。当時はまだ一般的ではなかった“レンタル”というサービスに挑戦したことで、当社は大きく飛躍します。バブル期の追い風を受け、一流ホテルでの展示会で数多くのジュエラーを支える存在に。ジュエリーの展示会業界で全国トップの地位を築き、一代で叩き上げた父の挑戦精神と、家族の粘り強い努力が現在の礎となりました。
創業から55年。信頼と実績は、ただ年数を重ねただけでは生まれません。ものづくりのDNAと挑戦の歴史こそが、当社の何よりの財産だと考えています。
業界の低迷
これからの事業展開について教えてください。
バブル期の日本は、自動車や電子機器など主要産業が強く、高級志向が社会全体に広がっていました。その流れで、高級時計やダイヤなどのファッションジュエリーがよく売れ、展示会も大きな盛り上がりを見せていました。しかし、その後のバブル崩壊、リーマンショック、3.11、さらにはコロナといった時代の変化とともに、高級志向は徐々に低下し、ジュエリー業界全体は縮小していきます。
一方で、価値観の多様化が進み、精神性を大切にする流れが強まっています。それに伴い、嗜好品の価値も再評価されつつあり、展示空間の在り方も変化を求められています。実際、当社が長年主力としてきた展示会レンタル事業は市場が縮小したものの、ディスプレイ製作や空間デザインの領域はむしろ成長している状況です。
空間デザインの 革新の挑む。
展示会の現場では、ジュエリーケースやディスプレイの提供だけでなく、ブランドの世界観をどう表現するかという“空間設計”が強く求められるようになりました。これまでお客様のニーズに合わせてケース→ディスプレイ→空間デザインと自然に領域を広げてきた流れをさらに推進し、今後は展示空間そのものの価値を再定義していくつもりです。
私たちは、ジュエリー業界の未来に必要な「新しい見せ方」「ブランド体験としての空間」を創り出すため、ディスプレイとデザイン力により一層注力し、展示空間の革新に挑んでいきます。同時に、業界全体の価値を引き上げる存在になること。それが、これからの橘のビジョンです。
挑戦と実践の リーダーシップ。
──橘の二代目として会社を率いる現在、ご自身の経験はどのように経営に影響していますか?
高校時代からものづくりが好きで、美術大学では空間演出デザインを学びました。アートや音楽といった、より深い表現領域にも心を奪われていきました。卒業後はフリーターとしてバンド活動に没頭しつつ、当社でも研修を経験。バンド解散後には、現在は日本を代表する音楽プロデューサーとなった人物とレコードを制作しリリースもしました。その後もオファーをいただいたりしましたが、最終的にはアメリカへ渡ることを選びました。
アメリカでは、語学学校、UCLA、広告営業、レコード会社での業務など幅広い現場を経験しました。私の絵や音楽は現地でも評価してもらいましたが、当時はむしろ“ひとりの社会人として当たり前の生活に溶け込みたい”という思いが強く、そのために必死にもがき続けていた気がします。異文化でキャリアを築く難しさ、アートや音楽が国境を越える手応え、そして“自分はやはり表現者気質なのだ”という再認識。これらの経験は、私の価値観を一気に広げるきっかけになりました。
そんななか、現地で出会った同じような境遇の仲間たちから「父の会社を継ぐのも立派な選択だよ」と励まされたことが、実は大きな転機になりました。アメリカで多様な価値観に触れたことで、二代目として会社に戻ることへの抵抗が自然と薄れ、むしろ前向きに考えられるようになっていったのです。
どんな大波でも、 漕ぎ続ければ必ず抜けられる。 向こう側には、 誰も辿り着いていない 一本の最高の波がある。
帰国して会社に入った後は、父との衝突、3.11やコロナによる経営危機など、決して順風満帆ではありませんでした。ただ、アートの視点やデザインの知識、音楽で培った感性、そして海外での挑戦を続けた経験が、営業スタイルや事業開拓に大きく生きています。趣味のサーフィンで得た「どんな大波でも、漕ぎ続ければ必ず抜けられる。向こう側には、誰も辿り着いていない一本の最高の波がある」という感覚も、困難を乗り越える精神的支柱になりました。
アートや音楽を愛し、海外経験で挑戦心を磨いた視点。ビジネスの常識だけにとらわれず、遊び心と創造性を融合させること。それが、いま私が橘にもたらしている独自のリーダーシップです。これからは、分社化や組織再編、グローバル展開など、より大きな挑戦にも踏み出しながら、父の代から続く“人を大切にする社風”と、最先端のデザイン環境の両輪で、橘を次のステージへ導いていきます。